カキクロの日記帳

バーチャルをこよなく楽しむ猫の道楽ブログ

アイデンティティと語尾を直結させると結構制限されるって話

 アイデンティティ、というのは大事じゃと思う。

 例えばワシの場合は猫であるというのは捨てられないアイデンティティにゃ。現実の猫とは出来ることも出来ないことも違うけれども、ワシは猫である。なぜならば、ワシは猫なのじゃから。

 ・・・なんかヤバい奴っぽいけれど考えても見てほしい、人間が「自分は人間である!」と言ってたら変じゃろう?一目見て分かることに疑問を持つのは、傍から見ると滑稽であるわけにゃ。決して人が「自分は猫だ!」と声高々に叫んでいるわけではにゃいので、そこは間違えないように。

 

 そんな大事なアイデンティティだけれども、文章で表すというのは意外と難しいにゃ。姿があるならば見るだけで「猫である」とわかるけれども、文字だとそれ以外の手段を用いて猫を伝える必要がある。

 姿や仕草を細かく描写したり、猫の視点で世界を書いたり。そうした方法で表現は可能なのじゃけど、ブログという形態では不向きに思う。さてはて、どうやって猫であると訪問者に伝えればいいじゃろうか・・・ワシは猫と毎回宣言したり、それこそ画像を使って一目でわかるようにしてもいいかもしれにゃい。けれどそれ以外でもう実践してることが一つあるにゃ。

 

 皆さんもお分かりの通り、ワシは語尾を使って表現しておる。「にゃ」を付ければほとんどの人は猫を思い浮かべ、何回も付けていれば「あ、この方は猫なのかな」と想像してもらえるのである。人間の適応力は、凄い。

 ワシにはたっぷりの髭も生えておるので、「じゃ」「のう」といった語尾も付けてるにゃ。~じゃといえば某ポケットなモンスターの初代博士。博士といえばお年寄り。お年寄りといえば、髭を蓄えてる割合が高い。連想ゲームのように広がるイメージは簡単にキャラクターを表せるから、実際便利な表現方法じゃな。ツンデレとかヤンキーとかの属性も、喋りだけでわかる強いイメージがあるのう。

 

 しかし便利であるが故に弱点もあって、それで今かなり困ってたりするにゃ。キャラクターであればそこまで苦労はしないけれど、実際ブログを書くとなると結構縛りが多いことに気がついたわけなんじゃよ。

 語尾に「にゃ」「じゃ」「のう」を付ければいいということは、逆に言えば付けなければいけないということにゃ。文章中の「な」を「にゃ」に変えたり、「おる」とか使ったりとバリエーションを増やしてはみているものの。ワンパターンになりがちでなんというか、つらみがあるにゃ。見ていてストレスを感じない文章になっておるか、ちょっと自信がにゃい。

 そんな表現する上での縛りに一年越しで気づいたカキクロの明日はどっちだ!って状況なわけじゃよ。人におめでとうというときもにゃんか変に目立つのが気になるし、余分な言葉を付ける分気持ちが伝わりにくいきもするし。つけ始めた理由に文章が柔らかくなるようにって思惑もあったんじゃが、寧ろあるほうが変な気がするにゃ・・・。本末転倒になっておるのかもしれぬ。

 

 ぶっちゃけて言ってしまえば、「にゃ」や「じゃ」を付けなくてもワシがワシであることに変わりはにゃい。別に猫が皆「にゃ」をつけてるわけでもないし、「じゃ」と言わないお年寄りの方が多いじゃろうし。寧ろつけてない方が自然であり、多様的であるって良いのかもしれにゃい。でも今更変化するというのも、それはそれでワシを気にしてくれている方への裏切りかもしれにゃい。これは難しい問題にゃ・・・

 

 まあそんなこんなな悩み事があるので。もしかしたら明日からブログやTwitterで「にゃじゃ」を書かないかもしれにゃいし、しれっと使ってるかもしれにゃい。けれどもワシはワシであるし、たっぷりの髭があるよくわからない猫ということに変わりはにゃい。そこらへんよろしくということを長々書いただけのブログだったのにゃ。

 もし語尾をつけるつもりなら、そういった縛りがつくことも考えておくように。先人からのアドバイスじゃよ。それでは皆さん、良い夢を、にゃ。